東洋のパリ、プノンペンへ

中国、ベトナム縦断を経て、ベトナムのホーチミンからカンボジアのプノンペンへとバスで入国しました。 

プノンペンでの日々 

プノンペンでは5日間を過ごしました。 

2019/3/21 

プノンペンに夜に到着。 

プノンペン – Wikipedia

カンボジアの行政、文化、経済の中心地で、「東洋のパリ」と謳われたフランス植民地時代の美しい街並みが残っている。また、王宮があり、カンボジア国王一家が住んでいる。
プノンペンという名はクメール語で「ペン(夫人)の丘」という意味である。ペン夫人は信心深い女性で、川を流れてきた仏像を見つけ、近くの丘に祠を作り仏像を手厚く祀ったことから「プノンペン」と名付けられ、それが町の名前になった。その丘はワット・プノンと名づけられ、ペン夫人の像や仏塔が立っている。

宿までトゥクトゥクで向かい、この日は何もせず、近くにある屋台で夕食を済ましました。 

分かりやすい、フライライス。つまり、チャーハン。味は少し物足りない。 

想像以上のプノンペンの都会っぷりに少し安心感を覚えました。 

そして、想像以上に綺麗すぎる、かつシャワーの水圧が強い宿に泊まることができ、久しぶりの快適さに大満足。 

2019/3/22 

プノンペンに来たのなら、なにかをしなければ、いう新しい街に到着すると感じる焦燥感。 

さっそく比較的近くにある、トゥールスレン虐殺博物館に行くことに。 

ここで人生初のバイクに乗ることにしました。 

オートマ125ccのバイク。50ccを通り越し、125cc。 

バイクレンタル屋のお兄ちゃんに乗り方を少し教えてもらい、バイクを走らせること、20分。 

なんとかたくさんのバイクに追い抜かれながらも時速20kmで普通に走れるようになりました。 

まだまだ時速20kmだけれども、こんなに気持ちいい移動手段があるのかと感動です。 

もしかしたら、カンボジアは日本より走りやすいかもしれません。 

車よりバイクのほうが圧倒的なので、車に煽られたりすることもなく、バイク同士もお互いの行動を予測しながら動きます。 

まずはプノンペンの中心部にある、セントラルマーケットへ。

ベトナム、ホーチミンのベンタイン市場に比べ、販売に対する熱量が感じられません。

でも、何か買おうか値段を聞くとぐいぐいと来て、値下げするから買え、と迫られます。

そして、練習のために大周りしながらトゥールスレン虐殺博物館に到着。

トゥールスレン虐殺博物館 

トゥールスレン博物館について。

トゥールスレン博物館 – Wikipedia

S21は、クメール・ルージaュ(カンボジア共産党)支配下のカンボジア(民主カンボジア)において設けられていた政治犯収容所の暗号名である。
稼働中は存在そのものが秘密であったため公式名称は無い。現在は地名を取ってトゥール・スレンと呼ばれており、国立のトゥール・スレン虐殺犯罪博物館となっている。
2年9か月の間に14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人。

尋問中の保安規則 – Wikipedia
1.質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
2.何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
3.革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
4.質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
5.自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
6.電流を受けている間は一切叫ばないこと。
7.何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
8.自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
9.これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電線による鞭打ちを与える。
10.これらの規則を破った場合には10回の鞭打ちか5回の電気ショックを与える。

実際にはすぐに殺されることも多くあったようです。

入場口で8ドルを支払い、入場。 

音声ガイドに従いながら、番号順に周っていきます。 

音声ガイドの案内を聞くたびに、なにか心にずっしりと重くのしかかるものがありました。 

そして、展示してある写真や資料。 

それらを見るたびに涙が出そうになりました。実際泣いてしまっている方も何人か見かけました。 

それほどその大虐殺の内容は、残酷で悲惨な歴史でした。 

今までしてきた旅の中で最も心に強い衝撃を残しました。 

アンコールワットのあるシェムリアップからは短期旅行でなかなか行きづらい、プノンペンのトゥールスレン虐殺博物館ですが、カンボジアに行く人には必ず行ってほしい、おすすめの場所の1つです。 

2019/3/23 

この日の予定はなし。 

ここまでの旅でノービザ有効の期間に追われ、気持ちが忙しない旅をしてきました。 

カンボジアはアライバルビザで30日の有効期限がある…ということでのんびりすることにしました。 

しかし、宿にいても何もすることがない…。 

結局どこかに出かけることに。 

心配になるビル建設

向かったのはイオンモール。 

日本にあるイオンモールと変わらない規模で映画館もあるようです。 

ダイソーがあり、そこで新たなビーチサンダルと帽子を購入。 

100円ではなく、1.9ドル均一価格。 

日本の2倍の価格でした。 

それから日本のお店、リンガーハットを見つけ、そこで昼食。 

大好きな皿うどん。金額は400円ほど。量は少なめ。 

けれども、久しぶりの皿うどんに高い満足感を得ました。 

イオンモールからトンレサップ川沿いを散歩しながら、この日は早めの帰宅。 

夜に路上でテントを張って簡易に作っている散髪屋にて、3ドルで髪の襟足とサイドをバリカンで刈ってもらいました。

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キリングフィールド

2019/3/24 

この日もバイクを借り、シェムリアップ行きのバスのチケットを取りにバスターミナルらしきところへ。 

25日の昼出発のシェムリアップ行きのチケットを6ドルで購入。 

そのまま、プノンペンの中心部から16km離れた、キリングフィールドへ向いました。 

途中で何故か警察官にバイクを止めろとの指示。 

バイクのライトがいつの間にか付いていたようです。 

やってしまった、いくら取られてしまうのか…と落ち込んでいると、「どこから来たんだ?」との質問。 

日本ですと答えると、行ってよし、とのジェスチャー。 

これは親日のおかげなのか、外国人だから面倒くさいのか、わかりません。 とにかく警察官の気分が変わる前にそそくさと去りました。 

たくさんの車、バイク、砂埃に揉まれ、キリングフィールドに到着。 

キリングフィールドについて。

キリングフィールド – Wikipedia

キリング・フィールドは、ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称
クメール・ルージュの秘密警察である「サンテバル」は、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害した。後には、クメール・ルージュの地方機関や事業所の幹部までもが反乱の恐れ有りとして殺害されていった。
これら多数のカンボジア人が殺害された刑場が、現在のカンボジア各地で「キリング・フィールド」と呼ばれている場所である。最も有名な物は、首都プノンペンにあった政治犯収容所S21(トゥール・スレン)に付属する刑場として造られた、チュンエクのキリングフィールドである

キリングフィールドは、トゥールスレン博物館と同様、虐殺の歴史を知ることができる場所です。

音声ガイドを聞きながら、場内を周ります。

見かけは、大きな景色の良い景観、何かの公園だと言われてもわからない場所です。

しかし、40年前には、虐殺が行われた場所。園内に入ると何か緊張感を感じました。

ガイドを聞きながら、場内を1時間半ほど周りました。

人の喉を切り裂くために使われたヤシの木の皮。当時と同じ木がここに残っています。

赤ん坊の頭を打ち付けて殺すための大きな木”Killing tree”。発見当時は赤く染まっており、脳が付着していたりしたそうです。

最後に慰霊塔でたくさんの被害者の骸骨を見て終了。

たくさんの骸骨の頭の一部が欠けてました。頭を鈍器や武器で割られた跡です。

このキリングフィールドにおいても、カンボジアの悲しい過去の話を知り、強い衝撃を受けました。

そして、宿に帰宅。宿では日本人の方と会い、色々な旅の話を教えてもらい、一緒に夕食を食べました。ひとり旅の長期旅行の方との話は気があって面白い。

シェムリアップへ

2019/3/25

この日はシェムリアップ行きのバスの日。宿のスウェーデン人からお前はいい奴だ!良い旅を!と言われ、嬉しい握手を交わした後、宿を昼前に出発。

それからバス停へ向かい、バスへ。

バスに乗り込むと、英語を話せるカンボジアのお姉さん。色々とカンボジアでの話が盛り上がりました。

お姉さんはカンボジアの水を製造する工場で働いているようです。プノンペンには、姉の結婚式で来て、住んでいるシェムリアップに帰る途中とのこと。たくさんの結婚式の写真を見せてもらいました。

そして、長距離バス恒例の休憩タイム。

物欲しそうに果物を眺めて、そのまま買わずにバスに再び乗車。その様子を見られていたのか、お姉さんに果物を勧められました。

食べたのはスネークフルーツと呼ばれる南国のフルーツ。

スネークフルーツ – Wikipedia

サラクはヤシの一種で、ヤシ科サラカヤシ属に属する。和名はサラカヤシまたはサラクヤシといい、サラッ、サラックとも音訳される。インドネシアとマレーシアに自生する。
実がスネークフルーツ とも呼ばれるのは、実の皮が赤褐色で鱗状になっているからである。果皮も鋭い刺に覆われている。大きさと輪郭だけは、熟したイチジクの実と似ている。

– Wikipedia

表面には、無数の棘。無理やり皮を剥こうとすると、突き刺さる無数の棘。

イタたた…と一緒にお姉さんと笑いながら、食べました。なんだか現地の方に優しくしてもらい幸せな時間でした。

そのまま、バスが6時間ほどの運転の後、シェムリアップに到着。

お姉さんとお別れし、宿へ。facebookでカンボジアで良い旅を!とのメッセージを頂き、現地の方から旅を祝福してもらっているようで嬉しい気分でした。

旅での嬉しいことは、やはりそれぞれの国での現地の方との出会い。ここでも良い出会いがあり、カンボジアが好きになりそうです。

泊まった宿は日本宿「ザシティプレミアムゲストハウス」。

入った途端にたくさんの日本人を見かけ、少し萎縮してしまいます。出来上がっているコミュニティーに入っていくのは、なんだか勇気が必要で…。

夜遅かったため、くつろぎスペースでビールを飲み、少し話し、早めに就寝しました。

宿に長くいらっしゃる方に話を聞くとどうやらシェムリアップは観光にたくさんのお金を使う必要がある街であるようです。

またまた散財してしまいそうなカンボジア。お金の心配が尽きません。

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